震災その日 第1回 (まえかわ)

前回までのバリ編とは打って変わって・・・

 

筆が重くなるということはまさしくこのことかと思いますが,震災からちょうど1年経ちますので,少しくらい触れるべきかと.多くの人がさまざまな思いを抱いたであろうこの災害に,政治的なことや,人道ぶったことを書きたくありません.そんなことは,メディアがすでに好き放題垂れ流していますので.

私は,このブログを読んで下さった方が,『面白いなあ』『癒されるなあ』『ふーん,外科医ってのはこんな毎日送ってるのかー』と感じてほしいと思っておりますので,何もテレビで連日報道されて目を背けたくなるようなことをこのブログで繰り返したくないのです.

 

したがって,あくまで私(と医局の人々)の医師としての手記のみを数回にわたって記憶をたどって綴りたいと思います.

 

 

 

 

2011年3月11日(金)14時30分

 

出張先の病院で外来診療を始めようとしていた矢先でした.やや古めの施設で,グラッとくる直前にdocomoの携帯が地震を察知してくれたのですが,あまりの揺れで

 

『この施設は倒壊するかも,俺死ぬな』

 

と思い,迷わず机の下に避難.

 

 

この施設の病院長の先生が,ガソリンで回す発電機をおもちであったために,急きょ発電し災害状況をポケットテレビで見たわけです.

 

郡山あたりで上がっている大火災の映像.

 

『推定される津波の高さは,三陸沿岸で4mとのことです』

 

と言っていましたが,私は何百年も海のそばで生きてきた人間の末裔ですので,絶対ウソだと直感しました.(後日,宮古市では海抜38mの高さまで津波が押し寄せていたことがわかり,いい加減な予報をしていたことが白日の下に曝されるわけです.)

 

 

どうやら山形市内は全停電らしく,この病院の外来診療は当然ながら中止し,急いで大学医局へ撤退することに.

 

この時点で15時です.

 

 

そういえば,貞弘教授や,何人かの医局員が,夕方初の山形新幹線で東京にセミナーに出発しようとしていたな,とふと思い出し,駅の西側へ直行.

 

全ての信号機が消えている街です.

日本人はこういう時でも譲り合いを忘れない,高潔な民族であります.

山形駅西口近くに車を止め,貞弘教授たちを探しに構内へ.

 

 

構内はやはり騒然としており,新幹線が止まったことにより多くの旅行者,受験生が足止めを.

山形駅新幹線口に着いたはいいのですが,駅の天井を飾っていたステンドグラスが抜け,ことごとく地面へ散らばっています.

 

一通り探索し,医局員が誰もいないことを確認し,車で山形市の西側をとおり大学病院まで遁走.

 

ところどころの踏切は閉鎖され,渋滞です.

 

17時.

10km無い道のりで3時間弱を要し,何とか大学へ帰還.

 

これより,たまたま大震災の日に大学病院の救急当直が当たっていた私の,未曾有の救急診療が始まります.      

 

                                        (続く)