吝嗇・臆病 (まえかわ)

昨日の続き@救急外来

 

ノロ氏の猛攻を受けつつも、点滴が半分くらい入り元気を取り戻したため、鞄に放り込んでおいていつか読もうと思った本を広げたわけです。

 

新潮選書のベストセラーだったようでざっと一通り読みましたが、残念ながら感性の問題か、自分の教養レベルの問題なのか、もう一度読みたいという印象には乏しかったのです。

 

 

しかしながら、この本の言う『人間の矯正できない2つの悪徳』というのは、読むに値すべき文章と思われます。

 

以下引用。

 

『人は誰でもどこかに欠点を持っている。少くともあそこが足りないなと感じられる抜け落ち部分がある。

 ちょっとおかしいなと思える箇所がある。根性が曲りくねっている場合もある。しかし大抵の人は何時か自分でそれに気付く・・・

 

 殆どの短所は気働きによって補正できる。ほぼ熟年に達したころには見違えるように成長する例が少なくない。(中略)

 

 しかし男女を通じて絶対に矯正できない悪徳がある。それは『吝嗇(けち)』『臆病』である。腐った魚のように使い道が見当たらぬ。

 

 (中略)

 

 吝嗇は人間社会が助け合い尽くし合い凭れ合いであるという根本の事情を理解しない。貝殻のなかに閉じこもっている。持ちつ持たれつの連帯感情がない。人のために何かをしようとはしていないから他人の親切が感知できない。人間の情を解する神経が欠けている。ゆえに彼らは例外なく忘恩の徒である。自分のことだけしか念頭にない勝手者(エゴイスト)である。人と人との結びつきを保持してゆく気力がない。交際の不適格症である。誰からも孤立して淋しいとも思わぬ冷血の徒である。

 

 

 臆病もまた決して矯正できない悪徳である。これは生理現象であるから思念よりも肉体的反応が先に立つ。それほどでもない事柄に恐れ戦き震えが来る。臆病は即ち怖がりである。ぞっとして鳥肌が立った瞬間に後先かまわずひとりで逃げ出す。他の人も怖いであろうから行動を共にしようと考える余裕がない。吝嗇と同じく臆病もまた連帯感情の欠如である。ゆえに組織に属する一因として身を処す社会生活に溶け込まない不適応症である。』

 

 

普段私たちが仕事をしている上で、

『コイツ、わかんねーヤツだな!!』

 

とか、他科で、

『うわーッ、嫌な指導医(教授)だなー!!』

 

とか思われる人たちは、大なり小なりこの『吝嗇』や『臆病』を有しているかもしれません。 こういう上司,部下、取引先,患者さん,はたまた同僚に苦しめられている方は少なくないと自分の経験からでも思うわけですよ.

『怠惰』というのも.努力を吝嗇する(ケチる)ということになりますから,広義の吝嗇に入るんじゃないかな,と個人的には思います.

 

(これを裏返せば自分も気を付けるべき、ということになります。でも著者は矯正できないといっていますが)

 

この谷沢永一氏は辛辣な文章を特徴としているのか、病み上がりの私にはこの本は少々容量負荷が大きかったのです。

ダンテの『神曲』で、吝嗇家は地獄だか煉獄だかでどんな目にあわされていたっけ、と考え込んでしまいました・・・。

 

 

 

さて、ノロウイルスの犠牲者はやはり私一人でした。

私以外は、ノロ毒素に対してレジスタント(抵抗性)だということになります。

 

 

打ち上げで遠くに座っていた秘書未来氏、香菜子氏は

 

『雪漫々に生ガキ、サイコーにあうよねーッ』

 

『ねーっ』  ※雪漫々とは、山形のトップクラスにいい酒であります。

 

 

と盛り上がっていたそうです。

したがって、金先生のそばではなく彼女たちの近辺にいたとしても、私はまず間違いなく生ガキを食べるという誘惑に負けていたことになります・・・。

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コメント: 3
  • #1

    Tomoko (火曜日, 21 2月 2012 10:14)

    牡蠣が苦手な私は・・・その後、カキフライでアレルギーを発症いたしました・・・(;一_一)食べていないのに、牡蠣エキスで死亡です・・・(-。-)y-゜゜゜ゲッソリ

  • #2

    まえかわ (火曜日, 21 2月 2012 12:41)

    やはり,あのときはオオバ選手,智子氏同様食べないという選択肢(=金先生にもれなく献上する)が正しかったのかもしれません・・・.たぶん,ウイルス以外にもカキの有している成分に感作した可能性があります・・・.

  • #3

    みく (火曜日, 21 2月 2012 13:59)

    おっさんみたいですみません。
    今度カキが出てきたら、前川先生の分は責任を持って私がいただきます♪