軍医さん (まえかわ)

外は記録的な大雪です.

イメージは,夜の病院の中庭です.

 

オオバ選手と二人ICU当直をしているのですが,明日当直明けで我々が帰る頃には,おそらく完全に雪に埋もれてしまった車を掘り出すのに相当労力を必要とすると思われます.

 

朝も交通がマヒしており,市内を突っ切ってくるのはかなり困難のようです.

 

 

軍医さんの話.

 

私は学生さんや後輩が気が抜けていますと,

『オメーら,ここは軍隊だからな!!』とたまに檄を飛ばすのですが(長野で習った言葉です),ふと軍医さんの話を思い出したのです.

 

私事で恐縮なのですが,私の母方の祖父はいわゆる開拓民で,岩手の山奥の土地を開拓し,そこで酪農をして生計を立ててきた人です.

終戦直後のの開拓民は厳しい生活を余儀なくされ,祖母は腰が曲がり保健所からの指導で『開拓病』と言われたそうです.開拓病にはカルシウムを多く含む食事を摂取させなさい,と行政からの指導が入ったそうですが,売り物の高価な牛乳を飲ませられず,本当に貧しく苦しい生活だったそうです.

 

 

私が山形に住むことになった時,祖父が珍しく戦争中の話をしてくれました.

この祖父が配属されたのは弘前の軍団だったようで,東北出身者を中心に構成されていたそうです.

 

中国に出征中に、部隊に『軍医さん』がいて,この方は自分と年が同じであるにかかわらず(おそらく二十歳そこそこと推察されます)医師免許があるために『少尉』さんだったそうなんですね.

私の祖父は一兵卒で,(軍事に疎く詳しいことを言えないのですが)少尉というのは相当位が上の士官だったのでしょう.(少尉さんは、本来であれば口もきけないくらい偉い、と祖父は言っていました)

実際,祖父の1年前に入隊した兵隊は,祖父に『おい! チンチュウ(中国の安酒)買ってこい!!』とお金も渡さず(手持ちの金で買え,ということです),巻き揚げのようなことを平気でしていたそうなのです.(この辺の事情は,水木しげる先生の『ラバウル戦記』で大体時代背景が分かります)

このように部下への理不尽な行為,収奪、暴力が常態化していた軍隊の中で,この軍医さんは偉ぶることなく祖父と懇意にして下さったそうです.軍医さんの存在が、どれほど祖父の心の支えになったか分かりません。

 

さまざまな知識を教えてくれたそうなのですが,

『心臓の音ってのは,Ⅰ音と,Ⅱ音というのがあるんだ』

『脈が正常なら,Ⅰ音とⅡ音が交互に周期的に拍動している.それぞれ,異なる弁が閉じている音なんだ』

 

とその軍医さんは教えてくれた,と祖父は懐かしそうに話してくれました.

現代医学でも確かにその通りです.本当に医術の手ほどきを受けた方だったのでしょう.

 

 

その軍医さんと私が重なったかどうかは分かりませんが,

 

『折角大学に合格したんだから,一生懸命勉強しなさい.お前は人の命預かるんだから』

『お金に困ったら,山を売ってお金に換えるから言いなさい』

 

 

と祖父は言うのです.幸い祖父が血のにじむような思いをして切り開いた山を売り払うようなことはせず,私は大学を卒業できました.

(偶然なのか、親切な軍医さんの導きなのか、私はそのⅠ音とⅡ音を発する臓器を専門にしております) 

 

明日も冷え込みそうです.

訪室のみなさまも事故など起こさぬよう,お気をつけ下さい.

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コメント: 2
  • #1

    みながわ (金曜日, 03 2月 2012 12:32)

    ちょっとこの話は、ブログに書くにはもったいなさすぎる!
    うるっときました(゜_゜>)
    どこぞのコンテストの受賞レベルだよ。

  • #2

    まえかわ (金曜日, 03 2月 2012 18:31)

    みながわ先生
    ビルマの竪琴ではないですが、戦争に行かれた方は一つや二つこういう逸話をおもちなのではないでしょうか。
    祖父に親切にしてくれた善良な軍医さんに感謝したいです。